学校の対応を批判する者どもへ
学校への批判。様々ありますが今回はSNSでたまにバズっている、小学生時代の嫌な思い出を書いたモノに対して、「学校の対応に問題がある!!」と書かれているモノ。
1クラスでの朝学や帰りの会は多種多様にあると思う。
それが合わない児童もいて、イヤな思い出になってしまうこともあると思う。
私がここで言いたいのは、気の弱い人、言い方は悪いが「弱者」と言われる人達にも生きやすい世の中、学校作りも大切だとは思う。
でも社会はそれだけでなく、どうしても大声を挙げて戦わなければいけないときは多々ある。
声をあげなかったら、損をした。そんな場面はみんな経験してると思うんだ。
人には得意不得意があるのはもちろんだけど、それを克服するのも大事だ。
だから学校の対応が悪い!!こんな嫌な思い出が、大人になった今でも心を傷つける!!
だけでなく、傷ついた経験があるから、今後はどうするのか。そこが大事だと思う。
ようするにそれは生きる力だと思う。
嫌な思い出を嫌な思い出で終わらせてしまうのは、もったいない。
苦い経験をそのままにしておくのはもったいない。
学校で明るくてよく喋る、クラスの人気者を見たことがない人はいないはず。
そして逆に暗くて、端っこにいる人も見たことがあるはずなんだ。
発言しないよりはしたほうが得、その逆もあるだろう。
その中で何を学ぶかなんだ。
ただこんな人いたよね、こういうとき嫌だったよね、だけでは何の成長にもならない。
せっかく学校という場で長時間、集団生活をするのだから、その中で自分に合った、少しでも自分も周りも楽しく過ごせて、得をする方法を学ぶ。
そして実践する。それが生きる力になると思う。
それをできるのはアナタが強いからだ。ではなく、やろうとしたかしていないかだし、やってみたかやらなかったかだ。
やらないでいて失敗したことのない人よりも、考えて勇気をだしてやってみた失敗のほうが、大きな力を持つ。
だから思うのは、確かに学生時代に先生にもっと構ってほしかった、あの時に助けてほしかった。
そう思うこともあるだろうけど、大人になればわかると思うけど、先生も人間だ。
疲れているときもある。そういう対応が苦手な先生もいれば、先生がやろうとした対応が合わなかった生徒もいる。
ただ先生は1人で40人見ている。
そりゃ全員に気を配れない。
気の弱い子に寄り添う。それもしなければいけないが、気の強い子や明るい子のことも同じくらいに見ていなければいけない。
だから朝学や帰りの会だったり、とにかく授業だけでなく、いろんな経験を短時間でどんどんしてもらうために、頭を抱えて、何をするかを考えてるんだ。
朝学や帰りの会では、ただ今日1日を振り返ってのことや、発表する場を作る。
その先生のやってきたことをただ責めるんじゃなく、それを糧にどれだけ学べるかだと思う。
学校が悪い、先生が悪い。それはさすがに他力本願すぎると思うんだ。
助けてほしければ、声をあげる。
あげなければ気付いてもらえない。
それも1つの経験だ。
ただただ学校の対応、先生の対応が、と言っても全員に合ったカリキュラムを組むのは不可能だ。
それが人それぞれというものだと思う。