当事者意識のない者たちへ
世間で起きたニュース。今進行してる政治。
それについて他人事な皆々様。
日本は平和だね。世界に比べて、文明
ができあがってない国と比べて。平和だね。
何より銃社会じゃないし。
日本て平和かな。
他と比べたら。と言ったらそうなのかもね。
でも学校でのイジメも、コロナも、そうでなくとも交通事故から殺人からいろんな事件は毎日、いろんなところで起きてる。
そしていつかはもしかしたら、不運にも万が一にも、自分の身にふりかかることもあるかもしれない。
悲観的に生きろ、とは思わない。
ただ楽観的に生きるのは恐ろしい。
私は人に殺されたくないし、イジメにあいたくないし、私は女だから性犯罪にあいたくないし、交通事故だなんて、ゴメンだ。
それで一生の障害をおってしまったり、自分が自分でなくなるようなことが起きたら。。て現状は起きてもないことを、恐れるよ。
それが正しい生き様だ。どいつもこいつもそうあれ!!とか言う話しではなく。
備えあれば憂いなし。ということ。
いつでも万が一もし自分が。の考えは大事だ。
そして願わくば、自分の隣にいる人がその万が一の被害者になった場合に、どうか他人事ではなく面倒事ではなく、寄り添って考えることをしてあげてほしい。
友達であるからには家族であるからには同僚であるからには。。そんなふうに自分も当事者になるということ。
イジメの自殺問題、会社でのパワハラ。
これらは全て外部に情報の出にくい閉鎖空間で起きること。
そして外部に出る頃にはたくさんの人が犠牲になってる。
それでは遅い。
ある映画で『Noという男』という話しがあった。
これは7人の男が1つのことを会議して、1人は発案者、うち5人は賛同者、でも必ず1人は反対する者がいるという構図。
どれだけよさげに見えたものでも、必ず落とし穴がある。
その議論を避けて物事を進めると、万が一が起きたときに対処できない。というようなものだったと思う。
世の中のいろんなシーンでも、これはあると思うんだ。
意味合いは違ってきても、世間では悪なのに会社や学校では正義。
そんなことがたくさんあると思う。
そしてそのたった1人の発案者が怖くて、賛同してしまう大多数。私もその1人になってしまったことがある。
こんな図式は珍しくない。
だからNoと言える人間が必要なんだ。
たった1人の勇気。
とても怖いことだと思うから、チームを作ろう。
1人で戦わず、チーム戦にしよう。
チームになれば、この問題を当事者同士で解決できなくとも、外部に頼る。という勇気と発案ができるようになる。
当事者は考えが狭くなってるから、多角的に考えることができなくなってるめのだ。
でもチームになれば心に余裕ができてくる。
それだけ一緒に戦う人がいるというのは、心強い。
これまた正しくない使い方をするけど、この閉鎖空間での戦いは、この心理だと思う。
そして閉鎖空間にやられて根拠なく賛同していた人も、だんだんと目が覚め始める。
暗い話はやめよう。そんなこと起きないよ。自分は大丈夫。
上記は普段よく耳にするだろう。
こんな危険性ない?とチラっとでも言えば、出てくる言葉。
これは楽観的とかでなく、ただの思考停止。
考えよう。想像を巡らせよう。
だんだん何を言いたいかわからなくなってきたけど、ニュースになってる問題は他人事じゃないってこと。
アナタが当事者になる可能性は、確率は低くとも絶対にある。ということ。
面倒事や他人事ほど、学べるものはない。
これを逃げてばかりいては、備えはできない。