大事にするのを嫌う者どもへ
大事にするのを嫌う。誰しもそうだが。。
こと日本においては各国に比べて抜きん出てその体質が多い気がする。
どんな被害を受けようとも泣き寝入り。
このパターンではなかろうか。
ケガをしたわけではない。被害は精神的な物だけ、体ではなく私物に被害があっただけ。
自分ではなく身内が狙われただけで、私個人の被害ではない。
こういうことに対して泣き寝入りが多い。
これが良いか悪いかで言うと、私は悪いと思う。
その1人が被害を訴えなかっただけで、次の人が被害に合う。
加害者というのは1度した行為を泣き寝入りした被害者を見て学ぶ。
この方法ならやってもよいと。
次なる被害者を出さないためにも、受けた被害に対して声をあげる。
そういうことをすべきなんだ。
何も被害者が悪いと言ってるわけではない。
大事にすると嫌がられるだろう、疎ましく思われるだろう。
「そんなことで」なんて言われて軽んじられるかも、もしかしたら内緒にしてほしい内容なのに、公表されて恥をかくことになるかも(セカンドレイプ)。
そんな恐怖を抱いてると思う。
被害にあうと人はあらゆることに過剰に恐怖するor怒る。
視界が狭くなる。
ココで私が言いたいのは、被害を相談された会社の対応だ。
内緒にするのはもちろんのこと、面倒くさがるではなく軽んじるではなく、被害者の気持ち・心に寄り添った考え方をしてあげてほしい。
被害者の気持ちを尊重してあげてほしいのだ。
社会は確実にかわってきてる。
ようやく日本はパワハラ・セクハラ・モラハラという言葉が浸透してきたばかり。
まだまだそれらに対する策が少ない。
こんな事案を上にあげたら自分の管理能力が問われることになるかも。
場合によっては左遷か降格か。
これもまたおかしい。
問題が起きたことを報連相に基づいて、報告してきた社員に責任を負わせ処分。
これでは問題提起はいつまでたってもできない。
そして解決ができない。
会社はチームだ。
チームの誰かを罰するではなく、二人三脚で問題にあたっていかなきゃいけない。
そして罰されるとするならば、それは加害者であって相談された上司つまり中間管理職ではない。
罰するところを間違えてるんだ。
管理不足。
この言葉をあまりにも会社に都合よく使いすぎてはいないか。
1人1人に目が届かない。
それは仕方ないことだ。
その目の届かないところ、届かなかったところをフォローする。
それがチームではないのか。
もっと社員が声をあげやすくする管理体制を、声をあげても面倒な人というレッテルを貼る、その文化をなくしていってほしい。
これには1人1人が我が身に置き換えて考える。
人の気持ちに寄り添う。
そう言った心がけが必要だと思う。
大事なモノはなんなのか。
そこを今1度、考え直すべきだと思う。