生まれを嘆く者どもへ
生まれを嘆く。
そしてそれのせいにして自分が努力しないこと頑張らないことの言い訳にする。
私はそれが1番嫌いです。
小学生までならいいでしょう。
でも中学生になったら、思考も広がる。
大人にもいろんな事情があって、嘆いても何をしても変えることのできない関係性もある。
何をどうしたって我が子を愛せない親もいれば、愛する親もいて。
お金持ちの家庭もあれば貧しい家庭もあり。
あげればキリがないほど人の家庭は様々。
そして子供は確かにそれをどれにするか選ぶことはできない。
しかし、だから将来、自分が努力しない頑張らないことの言い訳にはならない。
幸せになれない幸せに感じれない。
学生時代に非行に走る。
それも全て自分の責任で自分の選択。
それをどれだけ何度も家庭環境のせいにしても、誰も『そうだね。その家庭環境のせいだもんね。』とは言ってくれない。
何故なら違うから。
楽に逃げた自分の責任だから。
両親が揃っていても環境の悪い家庭もあれば片親でも環境の良い家庭もある。
こればかりは運でしかない。
高校生になればそれがわかってくる。
そうか自分は愛されていないんだ、愛されているんだ。
でもだから自分が人を愛せないわけではない。
それは都合の良い言い訳でしかなく、やはりそれを選択した結果だ。
それができる人もいればできない人もいる。
人それぞれだ。
だから親離れ子離れをしなければ。
これまでの暮らしとこれからの暮らしは違う。
最悪を知ってるから回避もできる。
できない言い訳を作ることなんて、家庭環境が恵まれた子でも恵まれてない子でも誰でもできる。
簡単だ。
なんとなく思いつく限りのできないだろう要因を根拠もなく、人につつかれにくくするためにこれまでの家庭環境を絡めて話せば、説得力があるような気がして、そうすると自分でもそれが正解に思えてくる。
でもこんなことをしていても嘆いても、誰も何もしてくれない。
いつだって自分から働きかけなければ人を動かすことはできない。
影響を与えてほしければ自分から影響を与える。
受動的になって待っていたって無意味な時間がすぎていくだけだ。
能動的でなければ。
有名な歌にもある。『幸せは歩いて来ない。だから歩いて行くんだね。』と。
それが全てだと思う。
要するに家庭環境のせいにする人は頑張ること努力が面倒臭いだけなんだ。
それのせいにして人につっこまれづらくする防波堤を作って、やるべきことをやらずにきているだけ。
怠けでしかない。
スタート地点は違っても動き出せば、進み続ければ追いつくことも追い越すこともできる。
でもこの防波堤が面倒なんだ。
つっこむと周囲の人にとって面倒くさい。だから放置される。見放される。
触らぬ神に祟りなし。だ。
その結果が全て残酷なまでに歳を重ねるごとに山積みになって返ってくるんだ。
だから思う。
自殺を選ばず生きることを選択したなら、せっかく生まれてきて歳を重ねるという奇跡を歩むことができているのだから、どうせなら幸せになったほうがいいに決まってる。
だから動かないと。
努力は頑張った結果は怠けた数と同じほどにやはり歳を重ねるごとに山積みになって返ってくる。
同じ返ってくるなら、いいことが返ってきたほうがいい。
打算的でイヤな言い方かもしれないが、そのほうが得だろう⁇
この人生を得たのは奇跡なんだ。
確率でも科学でも測ることができない。
まさに神のイタズラとしか言いようがないまでに奇跡。
そして大人になれることも長く生きることができるのも全ては本当に奇跡でしかないんだ。
であるならば、たった1度しかないだろうこの人生を楽しむしかない。
残された時間を、許される限り。
死ぬほどがむしゃらに生きる。
そして最後に『生まれてきてよかった。』そう思える人生でありたい。
生きる者全てがそうでありますように。