昔語りしてもよい者たちへ
介護や看護を軽くとらえてる人っているよね。
本当にすごく大変なのに。
まず医療費、介護費。安くはない。
いくら各種の保険に入っていてもそれでも安くないし、楽ではない。
あるにこしたことないけど。
だから安易にうちで介護する看護するって思わないほうがいい。
行政のサポートや民間のサポートを頼ることを視野に計画したほうがいい。
介護&看護は子育て以上に自分の時間がなくなる。
自分のペースで生活ができなくなる。
完全に病人や老人のペースだ。
そして大人同士だからこそ精神的、肉体的な負担が大きい。
何より子育てと介護の違いは成長を見るか死にゆく姿を見るかだから、全然違う。
だからこそ精神的な負担が大きいんだ。
健康で若い者は病気をしていて年寄りに全てを譲らなきゃいけないような、暗黙の了解というかイメージがある。
それがまた自分を傷つけていく。疲れさせていく。
でもそうではないよ。
何より自分の人生だ。相手の人生が優先したいか自分の人生を優先したいか、そこをしっかり考えなきゃいけない。
私は自分を選びました。
恥ずかしながら実家を捨てたようなもんです。
言い訳ならたくさんあります。
まず家計を維持することに協力してくれず、私の1馬力で無資格で高卒な私にはそれを支えるには、たくさんの時間を費やして働かねば、家計を支えられない。それなのに働いてくれなかった。
1番許せなかったのは、「あんたも休んだほうがいいよ」の一言。
休めないのは誰のせいだ。こんなに体が悲鳴をあげてるのに1日でも休んだら、月末がこうなるとか焦りしかなく。
なら代わってくれよ。アンタも働けよ。
そうすればせめて2週に1度は私も休めるのに。
月に1度も休めないほど働かなければいけないのは、私の1馬力だからだろう。
こんなことが続き、改善は見られないので迷ってはいましたが上京を更に強く決意。
心は今だに痛みます。
冷たいことをした、見捨てたという気持ちはなくなりません。
思い出すたびに頭を抱えたくなります。
でももう戻りたくはありません。
地元にいたときに小説で読んだ一言が私を強くします。【せっかく産まれてきたのだから、死ぬまで生きててよかったと思える人生にしたい】
これが支えになってます。
私はあのまま地元にいたら産まれてきたこと、今まで生きていた無駄な時間を後悔することになる。
何よりあんな働きづめでは体を壊しても働き続けなければいけない。
そのときに私の介護や看護をしてくれる人は恐らくいない。
であれば健康でいなければ。
過労死なんて絶対イヤだ。
望まない労働で死ぬのはゴメンです。
それでも頑張れたのは職場の人の応援、友達は30分しか会えないけどって言っても会いにきてくれた。
ただ少しお話しをするためだけに。
みんないつでも私にスケジュールを合わせてくれていた。
その少しのコミニュケーションが私の支えになりました。
それから上京して、一期一会の大切さを強く感じられるようになりました。
無償で全力で私も人を支えられるようになりたい。
家族を大事に思えなくとも他人を大事に思える。
それでいいんじゃないか。
そう思わせてくれたのは、地元の職場の人達だし友人だし、東京で出会った数々の友人たちです。
そして今は配信アプリを通じて知り合えた人たちがいます。
家にいながら孤独を感じてましたが、今では全く孤独を感じません。
それでよいのだと思います。
今ならば後悔はない。