自分が100%正しいと思ってる者どもへ
とにかく持論を力説。
果ては説教で長時間。
自分が正しいと思って、反論を許さない認めない。
こうなったら人間の成長は終わりだ。
人間いくつになっても勉強というが、本当にその通りだと思う。
時に子供に教えられることもある。
大人になったから経験がモノを言う。
これも正しい。
経験値からの助言。これも助かるし、タメになる。
だがしかし、反論を認めないのは違う。
反論されたからヤケになってムキになって相手を論破する。
論破できたことは気持ちがいいだろう。
相手は後輩だ。
相手が遠慮してるところにつけこみ、力説した反論をしてねじ伏せる。
これは会話の暴力だ。
でもそれでいい先輩だろうか⁇
人に説教するからにはいい先輩でありたいのだろう。若人の見本でありたいのだろう。
で、あれば『そういう考えもあるだろうね。この年になって忘れていたモノを思い出せたよ。』くらいの言葉をだせないものだろうか。
実際、年を重ねると忘れる若い心というものはある。
人間はかわらない、かわれない。
こういう言葉をよく聞くが、人間はかわるし、かわれる。
かわると思った、そのときからかわれるものだ。
成長できる。
ただ有言実行する、それだけでいいのだ。
かわるのは面倒くさい。それはわかる。
何かを始めるのは億劫だ。
始めたばかりは上手くいかず、トラブルも多い。
でも慣れてくれば、効率よく自分の生活習慣に落とし込んでいくことができる。
それをやるかやらないかだ。
人間はかわらない、かえられないという言葉をはくのは自己紹介だ。
自分がそうだからだ。
かわれると言う人間はかわれる。
それも自己紹介だ。
なんだか熱弁したが、自分が相手が100%正しいはナイ。
どんな喧嘩でも必ず自分にも悪いところが1%はある。
そこを改める。
それが成長で人生だ‼️